「大菩薩峠」 ここで書いていた、高尾山!


 訂正です・いつもの誤字です・・『大菩薩峠絵と背を大菩薩峠江戸を西に

八王子から20キロほど山あいに行くと、幕末辺りの建物の面影と、
「映画の町」を観光にしている、青梅市がある。
その隣町の羽村市で生まれた中里介山
今は知っている方も少ないでありましょう。
民権運動の色濃い土地柄、多摩川畔の水車小屋で生まれ、
芥川龍之介谷崎潤一郎宮沢賢治大宅壮一などに絶賛された「大菩薩峠
この未完の大作を最初に書き始めたのが、
1922年から1925年まで住んだ、高尾山に建てた6畳一間の草庵から。
目の前を流れるせせらぎをこよなく愛したという。
小学生、映画に明け暮れた私が、
「音なしの構え」の達人、辻斬りの常習、女性を辱め、失明した恐怖と、
悪夢にうなされる、机龍之介を演じた片岡千恵蔵の画面の前では、
恐怖に目を伏せながら、見ていた思い出は、今も忘れられない。

その中里介山の草庵の跡地が、
高尾山2号路の病院の裏側の狭い登山道にある。

看板は無く、多くの登山者は気づかないで通り過ぎていく。
それこそ、中里介山の意を汲んだように、ひっそりとである。


妙音橋を渡れば5分。





この建物の裏。狭い階段を昇ると・・

 

 

 

 



中里介山の生涯は、政治が絡み、ロシア文学が絡み、
教育が絡み、ブログではとても!

ただ、高尾の山を愛した小説家がいたと・・・・。

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