2021-01-01から1ヶ月間の記事一覧

あの猫は、と想って栄螺堂曹源寺。③--② 群馬県太田市。

関東から東北で見られるさざえ堂ですが、この螺旋は、古くは、レオナルド・ダヴィンチが、スケッチに残しているという。さざえ堂は、福島県、会津若松の、社寺建築の特異なフォルムのお堂に、埼玉県、本庄市の、浅間山噴火で亡くなった人々を、偲ぶお堂に、…

用心棒、猫に威嚇されて曹源寺。① 群馬県太田市。

新田義貞さんの祖、新田義重さんの若くして亡くなった、養女の菩提を弔うために、1335年備前の天真祖英禅師に開山させて、以来、新田氏歴代の祈願所となった、群馬県太田市の曹源寺。2度の焼失のあと、1852年、本尊を魚藍観世音菩薩にして、本堂と…

浮いた話は聞けなかった金龍寺②--② 群馬県太田市。

群馬県太田市の金龍寺は、新田義貞さんが1321年、天真自性和尚を招いて開山したお寺。軍事才能に優れた新田さんが亡くなったのは、越前・福井市を流れる、九頭竜川の傍。50数騎余りで藤島城に籠る足利氏を、攻める軍に加勢するのに出向いた折、15キロ…

雨の日、想う金龍寺 ① 群馬県太田市。

行動範囲が狭い今、想像力、貧困の極みに駆け込むお寺もなく、ただ、ただ茫然と蜘蛛の巣が一本の天井を見て、お寺ばかりの記事に、少しは雪の景色をと思ってたのに、八王子、稜線を隠して雨ばかり。タバコ一日6~7本に減らして鏡、朝と晩、変わらない腹の出…

新田神社・御嶽神社。コートを脱いだ群馬県太田市 ③--③

新田義貞公・拝借ファイル1338年、38才で亡くなった新田義貞さん。新田神社の創設は明治になってから、日本の歴史に刻んだ、義貞さんの遺徳を偲んで、新田地区に住む新田の支族がもので、地区の鎮守として、金山城本丸跡地に建てたもの。訪れた日には、金山…

金山城址。群馬県太田市 ③--② ダカールラリー。

群馬県太田市の一週間の出張を14日に終え、まとめ作業で徹夜もあり、自宅に籠っていましたが、やたら、キーを打つ指がひきつったり、就寝中の下肢の痙攣に、水分不足と、補給しても続くことに、仕事の大義名分とはいえ、ここ数か月に無かった多くの人に出…

小春日和の金山城址。群馬県太田市。①

群馬県出張が終わって、帰り、太田市新田の金山城址・新田神社へ・・。戦国時代、東日本では、石垣のある城は無く、上杉謙信や武田勝頼などが、幾度、攻めても落城しなかったという、新田一族が君臨した「金山城址」の、石垣のある土塁、城跡の新田神社まで…

永保寺・岐阜多治見市 ②--②

国宝・開山堂 永保寺の開祖、永保寺開創の夢窓国師と、開山仏徳禅師の頂相が安置されているのですが、 見ることはできませんでした。無際橋・国の名勝となってますが、コロナ感染で、人出もなく、自分も、早く八王子に戻らなければ、と、思いつつの散策で…

虎渓山永保寺 岐阜県多治見市 ①

コロナ感染の対応に気を張ったのは一瞬だけ、後は、国への批判やら、なんやら・・。こっちは11月から、引き籠もり状態だったから、気落ち、乾燥肌、角質まで固まって、インラインスケートの車を彫刻できる勢い。木曽路から南下し、岐阜県多治見市のホテルに…

本山慈恩寺。山形市寒河江市。③-③

昨年訪れた山形県寒河江市の慈恩寺。改めてファイルを見ていて、見せる美の追求ではない訪れ手を合わせて、心を落ち着かせるという、古刹の存在が大きく膨らんでました。天平18年(746)に印度出身の高僧バラモン僧正の開山。仁王門・1736年再建慈…

慈恩寺・悠遠への散歩。山形市寒河江市。③--②

昨年訪れた山形寒河江市の慈恩寺には、平安時代からの仏像があって、本堂で300円の拝観料を本堂で支払い見れました。薄暗い通路は、じっくり拝観している人の前に、進むのには、かなりの神経がいりました。何しろ、国が貴重な仏像と銘打っているので、よ…

慈恩寺・悠遠への散歩。山形市寒河江市。①

真言系の寺院。華蔵院本尊は不動明応。不明の創建時期、慈恩寺境内に、出家した僧侶・清僧は6軒、山伏・妻帯修験の5軒のほか、家来や農人を従えていた。華蔵院向背の彫刻。華蔵院、敷地内に、延命子安地蔵。慈恩寺を開いたバラモン僧正が、1200年前、…

令和3年元日。♪ 高尾山の鳥たち。

今年は、丁寧に時を過ごすことにいたします。つたないブログです。時間がありましたら、お付き合いくださいますよう、お願い申し上げます。~ 高尾山の鳥たち ~

https://blogmura.com/